中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭
2015年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第43回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。
今年7月7日は盧溝橋事件勃発78周年、日中友好正常化43周年、慰霊碑建立43周年、日中平和友好条約締結37周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。
北海道中国会も会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。雨の中、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と花島書店の店主花島さんが慰霊祭に参加しました。
東川町仏教会会長栄禅寺の橋本真英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。
慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の事務局長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟など28名が日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。
資料:
中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するにいたったのであります。
そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
今年7月7日は盧溝橋事件勃発78周年、日中友好正常化43周年、慰霊碑建立43周年、日中平和友好条約締結37周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。
北海道中国会も会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。雨の中、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と花島書店の店主花島さんが慰霊祭に参加しました。
東川町仏教会会長栄禅寺の橋本真英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。
慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の事務局長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟など28名が日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。
資料:
中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するにいたったのであります。
そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。





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