莫邦富 日本中国一帯一路研究院執行院長 中日50年、想又皓月圓
莫邦富 コラム 一帯一路
人民日報海外版日本月刊 2022/7/22 14:20
今年は中日国交正常化50周年に当たる記念すべき年だ。私は日本の方々と在日中国人関係者とともに「子どもたちに友好の未来を」という思いを抱いて、写真家岡本央氏が長年撮影してきた写真を題材に、「日中子ども写真展」を開催する企画を進めている。6月末の時点で、静岡県内の静岡市、浜松市、掛川市、沼津市のほかに、横浜市、京都市、北海道でも開くことになった。中国では、瀋陽でもこの写真展が開催され、評価をいただいている。西安もその開催に向けて企画作業に取り組んでいる。
初山宝林寺関塚哲心住職を訪問(2022年4月)
写真展の準備作業を進めているうちに、1200年前の遣唐使をはじめ多くの歴史的人物とも「再会」できた。当時の中国つまり唐と日本を語るとき、中日間の交流を大きく促進した先哲には、前回このコラムで取り上げた吉備真備(695-775年)だけではなく、中国名「晁衡」と知られる阿倍仲麻呂(698-770年)も忘れてはならない。いや、中国では、むしろ仲麻呂の方がもっと知られていると思う。
717年、仲麻呂は吉備真備や僧玄昉(げんぼう、生年不詳 ―746年〉らとともに、遣唐留学生として入唐。のちに科挙に合格し、唐朝の官職を歴任。753年、帰国が許され、遣唐使一行と帰途に就いたが、海上で暴風を受け難破してベトナムに漂着した。しかし、仲麻呂が一命を取りとめたことを知らなかった李白はてっきり友人が遭難したと思いこみ、その死を悼む詩を書いた。それは、「日本晁卿辞帝都/征帆一片繞蓬壷/明月不帰沈碧海/白雲愁色満蒼梧」という有名な詩、『哭晁卿衡』だった。
日本の友人、晁衡は帝都長安を出発して、やがて船に乗り込み、日本へ向かった。しかし、明月のように高潔なあの晁衡は、青い海の底に沈んでしまった。白雲も蒼梧山に立ち込めてその死を悼んでいる、という意。
だが、仲麻呂はかなり苦労したとは言え、何とか長安に戻ることができた。以降、再び日本へ帰国することはできず、中国に骨を埋めた仲麻呂は、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という詩を世に残した。百人一首にも納められている有名な和歌だ。
そのほかに、中国語版とも言える漢詩も詠んだ。「翹首望東天/神馳奈良邊/三笠山頂上/想又皓月圓」という内容の『望月望鄕』だ。日本では、「望郷の詩」というタイトルで知られる。
こうした仲麻呂と李白、王維ら詩人との交友関係や作品のことは知っていたが、まさか私も絡んでいくとは夢にも思っていなかった。
写真展の準備作業をしていた私は、実行委員会のメンバーである大杉政喜さんを通して、黄檗宗万福寺系列の初山宝林寺の第30代住職関塚哲心氏を知ることとなった。そこで今年は黄檗宗開祖隠元(いんげん)禅師(1592-1673年)が亡くなって350年に当たる。黄檗宗では、「350年大遠諱」という一大イベントを迎えることになっているといった情報も知った。
西安市外弁会議室を飾る宝林寺関塚哲心住職の書
隠元禅師は、俗姓が林氏。福建省福州府福清県の出身だ。 隠元自身は臨済正宗と称していたが、明朝の禅である「明禅」を日本に伝えたことで、日本では高く評価されている。民間では、むしろ隠元禅師がもたらしてきた中国文化の恩恵を受けている。たとえば、インゲン豆だ。中国からやってきた隠元禅師によって伝えられたという伝説が残る野菜として知られる。中国語では、扁豆と呼ばれる豆類野菜だ。
宝林寺は日本で最初に作られた黄檗宗系統の寺院なので、「初山宝林寺」と呼ばれる。
宝林寺を訪問してから、そんなに時間がたたないうちに、私に国際顧問として活躍の場を提供してくれた西安市政府から、「長安で生涯を閉じた仲麻呂の『望郷の詩』の日本語訳を、日本人書家によって書写する記念事業を実施したい。その書写された作品は同市外事弁公室の応接間に飾りたい」という連絡が送られてきた。その日本人書家の選定は私に任せられたのだ。
そこで私はその事業にふさわしい日本人書家として、初山宝林寺住職、関塚氏を推薦した。西安市政府から賛成する旨の書簡を受け取り、早速関塚氏に依頼した。関塚氏は、中日両国の遥かな歴史と未来への友好関係を繋ぐこの書写事業の意味が実に大きいと理解し、揮毫(きごう)を快諾してくれた。
コロナ感染拡大による規制が厳しいなか、関塚氏が書写した作品は1か月近い時間をかけて西安に配送した。阿倍仲麻呂、吉備真備、隠元禅師などの先哲のほかに、隠元禅師に従って福建省から来日し、万福寺創建を助けたのち、浜松に移り、初山宝林寺を創建し、この地の産業や文化の向上と黄檗禅の隆盛に努めた独湛(どくたん)禅師(1628~1706年)の存在も忘れてはならない。関塚氏をはじめ書写に関わった関係者の私たちもこうして先哲の足跡をすこしでもなぞることができ、非常に光栄に思った。
9月、中日国交正常化50周年を祝うとき、海外からの賓客を迎える西安市政府外事弁公室の応接間に飾られる関塚氏の肉筆を見に行きたい。そして、西安で「三笠山頂上/想又皓月圓」の仲麻呂が望郷の月を愛(め)でるときの心境と雰囲気にも浸ってみたい。この詩句をいまや黄檗宗大本山万福寺の執事、黄檗宗の庶務部長に昇格した関塚氏は「三笠山の頂上には、又同じ明月の円を思う」と訳した。私はこれをいじって、本文の表題を「中日50年、想又皓月圓」にした。
https://peoplemonthly.jp/n10148.html
人民日報海外版日本月刊 2022/7/22 14:20
今年は中日国交正常化50周年に当たる記念すべき年だ。私は日本の方々と在日中国人関係者とともに「子どもたちに友好の未来を」という思いを抱いて、写真家岡本央氏が長年撮影してきた写真を題材に、「日中子ども写真展」を開催する企画を進めている。6月末の時点で、静岡県内の静岡市、浜松市、掛川市、沼津市のほかに、横浜市、京都市、北海道でも開くことになった。中国では、瀋陽でもこの写真展が開催され、評価をいただいている。西安もその開催に向けて企画作業に取り組んでいる。
初山宝林寺関塚哲心住職を訪問(2022年4月)
写真展の準備作業を進めているうちに、1200年前の遣唐使をはじめ多くの歴史的人物とも「再会」できた。当時の中国つまり唐と日本を語るとき、中日間の交流を大きく促進した先哲には、前回このコラムで取り上げた吉備真備(695-775年)だけではなく、中国名「晁衡」と知られる阿倍仲麻呂(698-770年)も忘れてはならない。いや、中国では、むしろ仲麻呂の方がもっと知られていると思う。
717年、仲麻呂は吉備真備や僧玄昉(げんぼう、生年不詳 ―746年〉らとともに、遣唐留学生として入唐。のちに科挙に合格し、唐朝の官職を歴任。753年、帰国が許され、遣唐使一行と帰途に就いたが、海上で暴風を受け難破してベトナムに漂着した。しかし、仲麻呂が一命を取りとめたことを知らなかった李白はてっきり友人が遭難したと思いこみ、その死を悼む詩を書いた。それは、「日本晁卿辞帝都/征帆一片繞蓬壷/明月不帰沈碧海/白雲愁色満蒼梧」という有名な詩、『哭晁卿衡』だった。
日本の友人、晁衡は帝都長安を出発して、やがて船に乗り込み、日本へ向かった。しかし、明月のように高潔なあの晁衡は、青い海の底に沈んでしまった。白雲も蒼梧山に立ち込めてその死を悼んでいる、という意。
だが、仲麻呂はかなり苦労したとは言え、何とか長安に戻ることができた。以降、再び日本へ帰国することはできず、中国に骨を埋めた仲麻呂は、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という詩を世に残した。百人一首にも納められている有名な和歌だ。
そのほかに、中国語版とも言える漢詩も詠んだ。「翹首望東天/神馳奈良邊/三笠山頂上/想又皓月圓」という内容の『望月望鄕』だ。日本では、「望郷の詩」というタイトルで知られる。
こうした仲麻呂と李白、王維ら詩人との交友関係や作品のことは知っていたが、まさか私も絡んでいくとは夢にも思っていなかった。
写真展の準備作業をしていた私は、実行委員会のメンバーである大杉政喜さんを通して、黄檗宗万福寺系列の初山宝林寺の第30代住職関塚哲心氏を知ることとなった。そこで今年は黄檗宗開祖隠元(いんげん)禅師(1592-1673年)が亡くなって350年に当たる。黄檗宗では、「350年大遠諱」という一大イベントを迎えることになっているといった情報も知った。
西安市外弁会議室を飾る宝林寺関塚哲心住職の書
隠元禅師は、俗姓が林氏。福建省福州府福清県の出身だ。 隠元自身は臨済正宗と称していたが、明朝の禅である「明禅」を日本に伝えたことで、日本では高く評価されている。民間では、むしろ隠元禅師がもたらしてきた中国文化の恩恵を受けている。たとえば、インゲン豆だ。中国からやってきた隠元禅師によって伝えられたという伝説が残る野菜として知られる。中国語では、扁豆と呼ばれる豆類野菜だ。
宝林寺は日本で最初に作られた黄檗宗系統の寺院なので、「初山宝林寺」と呼ばれる。
宝林寺を訪問してから、そんなに時間がたたないうちに、私に国際顧問として活躍の場を提供してくれた西安市政府から、「長安で生涯を閉じた仲麻呂の『望郷の詩』の日本語訳を、日本人書家によって書写する記念事業を実施したい。その書写された作品は同市外事弁公室の応接間に飾りたい」という連絡が送られてきた。その日本人書家の選定は私に任せられたのだ。
そこで私はその事業にふさわしい日本人書家として、初山宝林寺住職、関塚氏を推薦した。西安市政府から賛成する旨の書簡を受け取り、早速関塚氏に依頼した。関塚氏は、中日両国の遥かな歴史と未来への友好関係を繋ぐこの書写事業の意味が実に大きいと理解し、揮毫(きごう)を快諾してくれた。
コロナ感染拡大による規制が厳しいなか、関塚氏が書写した作品は1か月近い時間をかけて西安に配送した。阿倍仲麻呂、吉備真備、隠元禅師などの先哲のほかに、隠元禅師に従って福建省から来日し、万福寺創建を助けたのち、浜松に移り、初山宝林寺を創建し、この地の産業や文化の向上と黄檗禅の隆盛に努めた独湛(どくたん)禅師(1628~1706年)の存在も忘れてはならない。関塚氏をはじめ書写に関わった関係者の私たちもこうして先哲の足跡をすこしでもなぞることができ、非常に光栄に思った。
9月、中日国交正常化50周年を祝うとき、海外からの賓客を迎える西安市政府外事弁公室の応接間に飾られる関塚氏の肉筆を見に行きたい。そして、西安で「三笠山頂上/想又皓月圓」の仲麻呂が望郷の月を愛(め)でるときの心境と雰囲気にも浸ってみたい。この詩句をいまや黄檗宗大本山万福寺の執事、黄檗宗の庶務部長に昇格した関塚氏は「三笠山の頂上には、又同じ明月の円を思う」と訳した。私はこれをいじって、本文の表題を「中日50年、想又皓月圓」にした。
https://peoplemonthly.jp/n10148.html
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