北海道中国会

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86百万荘見聞録 2014年5月7日渡辺淳一追悼
渡辺淳一の死去は中国メディアも大きく取り上げました。私は5日夕、中国のネットニュースで知りましたが、翌6日の北京のタブロイド新聞は1面か2面に訃報を載せ、文化欄に詳報を掲載していました。

見出しは「渡辺淳一永別“失楽園”」(新京報)、「日本情愛作家 渡辺淳一病逝」(京華時報)、「渡辺淳一 永別楽園」などでした。一番大きく紙面を割いていた「新京報」によると、1984年に中国の雑誌「日本文学」に掲載された「光と影」が中国デヴューだったそうです。

この日の「人民日報」本紙には見当たりませんでしたが、日本の北京駐在記者がしばしば引用する同紙傘下の「環球時報」は4面に「日本文壇 痛悼渡辺淳一」と題して、東京駐在記者が渡辺氏の渋谷にある事務所を訪問した際の印象などを交え、かなり詳しい評伝を掲載していました。

大江健三郎や村上春樹と並んで、渡辺淳一も中国でよく読まれている作家です。私が勤務している外文局近くの書店にも中国語版「失楽園」や「無影灯」が並んでいます。私も「孤舟」は中国語で読みました。職場の中国人の皆さんもほとんど日本語か中国語で「失楽園」を読んでいました。

ところで、私は一度だけお会いし、名刺交換したことがあります。20数年前、東京・銀座8丁目にあったクラブ「幸子」でママから紹介されました。その時、私の名刺を見て「いい名前ですね。今度使わせてもらっていいですか」とおっしゃられ、「いいですよ」とお答えしました。それまで、ほとんど彼の作品を読んだことがありませんでしたが、私の名前が登場する小説を密かに期待して、新しい小説が出版されるたびに買って読みました。幸か不幸か一度も採用されませんでした。中国の報道によると、130余の作品を残されたそうですが、「欲情の作法」(中国語訳もあります)も面白かったですが、荻野吟子の生涯を書いた「花埋み」が印象に残っています。

作者:島影均。元北海道新闻社常务取缔役、現在《人民中国》雑誌社日本語専門家、北京在住。
2014-05-07