中国が日本に学んで取り組み始めた「健康寿命」延伸の試み
莫 邦富:作家・ジャーナリスト
中国の高齢者
最も早く高齢化社会に突入した日本を中国やアジア諸国は学ぶべき
昨年8月、伊豆半島で開かれた会議に出席したときのことだ。筆者はある講演を聞き、心が震えるのを感じた。
日本の人口問題をテーマにしたその会議では、高齢化社会の課題などが議論されていた。その中である大学の学者が、医療現場からの声を伝える形で「人生の終着駅を選ぶ権利と自由は保証されるべきだ」と発言した。
この発言を、筆者は「人生の終着駅」「人生を降りる場所とタイミングを自分で選ぶ」「その権利と自由の保証を求める」の3つに分解した上で、「過度の延命治療の拒絶」「人生の終着駅に向かうときの尊厳の維持」「家族と社会へ過度の医療費の負担を強いない」という意味だと考えた。
もう1つ、関心を引いた発言があった。「“ピンピンコロリ”のような老後を送れるような社会環境を作るべきだ」という提案だ。
ピンピンコロリとは、「病気に苦しむことなく、最後はコロリと死ぬ」こと。1983年ごろから日本で広がった「健康寿命運動」で使われている言葉だ。
急速に高齢化社会へと向かう中国、そしてやがて高齢化社会を迎えるであろうアジア諸国にとって、世界で最も早く高齢化社会に突入し試行錯誤する日本の挑戦は貴重な“財産”で、参考にすべき点が多いと考えている。
新年に中国で注目された
台州市初の「故意殺人罪」判決
そんなことを考えたのは、新年早々、中国のメディアが、半年前に中国の浙江省台州市の裁判所で言い渡された、ある「故意殺人罪」の判決を取り上げていたからだ。
記事によれば、被害者は冷という中年の女性。被告人はその夫と長女、そして長女の配偶者、つまり婿の3人だ。
難病で長年苦しんだ女性は、転倒による骨折で寝たきりの状態に陥ったのを苦にして、自殺を決意。3人はそんな女性の苦しみを見かねた上に、長年の看病に心身ともに疲れたこともあり、女性の意思に従って殺鼠剤を購入して女性に渡した。
3人がひざまずいて声を上げて泣いている中、女性は殺鼠剤を飲んだ。その後、車で市内を回りたいと求めた。婿の運転で車が市内を回っているうちに、女性は息を引き取ったという。
この事件で3人は、中国の現刑法にのっとって故意殺人罪に問われた。台州市で初めての事件だっただけに、判決は注目された。結果、裁判所は、被告人3人が長い間、資産を使い果たした上に借金までして献身的に看病したこと、そして女性自らが死を選んだなどの事実に鑑みて、3人にそれぞれ執行猶予つきの懲役2~3年の判決を言い渡した。
高齢化社会の大きな課題の1つがこうして浮き彫りになったのを見て、伊豆半島の会議で聞いた講演が、私の心に重くのしかかった。そして、人生の終着駅を選ぶ権利と、自由を保証されるべきだという提案の重さも再認識した。
近年、中国でも「死亡質量」という聞きなれない言葉が聞かれるようになった。そして、エコノミスト誌とシンガポールのLien 財団と協力して行った「 QOD(Quality of Death、死の質)指数」が注目されている。
2015年度の報告によれば、80ヵ国・地域のなかで、イギリスが1位、台湾がアジアで最高の6位、日本は14位、香港が22位、中国本土が71位となっている。ちなみに、インドは67位、中国の1つ上の70位がエチオピア、1つ下の72位がボツワナであることから見ても、中国がいかに遅れているのかが分かると思う。
中国でも始まった
尊厳死をめぐる議論
こうした実態を見て、一部の医療従事者たちが行動を起こした。元上海瑞金医院院長で、中国抗がん協会常務理事の朱正綱氏だ。2015年以降、機会があるたびに、末期の胃がん患者に対し、むやみに外科手術をしないように」と、医師たちを説得している。
また、元政府高官の娘羅点点氏も、「きれいに死にたい。ICU(集中治療室)で体にいろんなパイプが差し込まれるのは嫌だ。しかも、膨大な医療費を毎日使って、最終的に産業化された医療の中で死を迎えるのを避けたい」と主張し、十数名の高齢者と一緒に「臨終不挿管クラブ」を作った。つまり、臨終の際、延命治療を断る団体を立ち上げたのだ。
その後、米国などでは一般的となってきた「生前遺言」の存在を知り、元帥で外相も務めたことのある陳毅氏の息子、陳小魯氏らの友人とともに、中国で初めてとなる尊厳死を求めるサイトを開いた。
陳氏はずっと悔しく思っていることがある。父が植物人間同然の状態に陥り、体中にいろいろな管が差し込まれていた。呼吸器を使って維持していたが、それでも心臓の鼓動が停止してしまった。
病院はすぐさま電撃を加えたりして、延命治療に取り組んだ。電撃で体が飛ぶほどの衝撃を受けたのを見て、やめてもらおうと病院に申し出たら、「そんな権限があなたにあるのか」と言われ、引き下がるしかできなかったという。
しかし、陳氏はこの日の出来事を今なお悔やんでいる。父に尊厳のある臨終を迎えさせるべきだったと後悔し続けているのだ。
中国でも反響があった
日本の「健康寿命の延伸」
こうして見ていくと、単なる長寿社会を作るのではなく、質の高い長寿社会を目指すべきだと考えるようになった。つまり「健康寿命の延伸」をいかに図るかということだ。これは近年、日本がたどりついた “道しるべ”だとも言える。
昨年9月、山東省泰安市で開催された介護関連のシンポジウムで講演したとき、筆者は「健康寿命の延伸」をめぐる日本社会の試みなどを紹介した。
講演前は、中国人出席者が関心を払ってくれるのか少し不安を感じていたが、実際は非常にいい反響だった。私の後にスピーチをした人は、ほぼ全員、私が挙げたデータや主張に触れており、関心の高さを見せた。
筆者は十数年前から、日中経済交流が「ハード」から「ソフト」へ移行していると主張している。健康寿命促進をめぐる日本の試みは、中国にとって非常にすばらしい参考事例になる。この分野の交流は、これからますます強化されていくだろうと思う。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)
https://diamond.jp/articles/-/191066
中国の高齢者
最も早く高齢化社会に突入した日本を中国やアジア諸国は学ぶべき
昨年8月、伊豆半島で開かれた会議に出席したときのことだ。筆者はある講演を聞き、心が震えるのを感じた。
日本の人口問題をテーマにしたその会議では、高齢化社会の課題などが議論されていた。その中である大学の学者が、医療現場からの声を伝える形で「人生の終着駅を選ぶ権利と自由は保証されるべきだ」と発言した。
この発言を、筆者は「人生の終着駅」「人生を降りる場所とタイミングを自分で選ぶ」「その権利と自由の保証を求める」の3つに分解した上で、「過度の延命治療の拒絶」「人生の終着駅に向かうときの尊厳の維持」「家族と社会へ過度の医療費の負担を強いない」という意味だと考えた。
もう1つ、関心を引いた発言があった。「“ピンピンコロリ”のような老後を送れるような社会環境を作るべきだ」という提案だ。
ピンピンコロリとは、「病気に苦しむことなく、最後はコロリと死ぬ」こと。1983年ごろから日本で広がった「健康寿命運動」で使われている言葉だ。
急速に高齢化社会へと向かう中国、そしてやがて高齢化社会を迎えるであろうアジア諸国にとって、世界で最も早く高齢化社会に突入し試行錯誤する日本の挑戦は貴重な“財産”で、参考にすべき点が多いと考えている。
新年に中国で注目された
台州市初の「故意殺人罪」判決
そんなことを考えたのは、新年早々、中国のメディアが、半年前に中国の浙江省台州市の裁判所で言い渡された、ある「故意殺人罪」の判決を取り上げていたからだ。
記事によれば、被害者は冷という中年の女性。被告人はその夫と長女、そして長女の配偶者、つまり婿の3人だ。
難病で長年苦しんだ女性は、転倒による骨折で寝たきりの状態に陥ったのを苦にして、自殺を決意。3人はそんな女性の苦しみを見かねた上に、長年の看病に心身ともに疲れたこともあり、女性の意思に従って殺鼠剤を購入して女性に渡した。
3人がひざまずいて声を上げて泣いている中、女性は殺鼠剤を飲んだ。その後、車で市内を回りたいと求めた。婿の運転で車が市内を回っているうちに、女性は息を引き取ったという。
この事件で3人は、中国の現刑法にのっとって故意殺人罪に問われた。台州市で初めての事件だっただけに、判決は注目された。結果、裁判所は、被告人3人が長い間、資産を使い果たした上に借金までして献身的に看病したこと、そして女性自らが死を選んだなどの事実に鑑みて、3人にそれぞれ執行猶予つきの懲役2~3年の判決を言い渡した。
高齢化社会の大きな課題の1つがこうして浮き彫りになったのを見て、伊豆半島の会議で聞いた講演が、私の心に重くのしかかった。そして、人生の終着駅を選ぶ権利と、自由を保証されるべきだという提案の重さも再認識した。
近年、中国でも「死亡質量」という聞きなれない言葉が聞かれるようになった。そして、エコノミスト誌とシンガポールのLien 財団と協力して行った「 QOD(Quality of Death、死の質)指数」が注目されている。
2015年度の報告によれば、80ヵ国・地域のなかで、イギリスが1位、台湾がアジアで最高の6位、日本は14位、香港が22位、中国本土が71位となっている。ちなみに、インドは67位、中国の1つ上の70位がエチオピア、1つ下の72位がボツワナであることから見ても、中国がいかに遅れているのかが分かると思う。
中国でも始まった
尊厳死をめぐる議論
こうした実態を見て、一部の医療従事者たちが行動を起こした。元上海瑞金医院院長で、中国抗がん協会常務理事の朱正綱氏だ。2015年以降、機会があるたびに、末期の胃がん患者に対し、むやみに外科手術をしないように」と、医師たちを説得している。
また、元政府高官の娘羅点点氏も、「きれいに死にたい。ICU(集中治療室)で体にいろんなパイプが差し込まれるのは嫌だ。しかも、膨大な医療費を毎日使って、最終的に産業化された医療の中で死を迎えるのを避けたい」と主張し、十数名の高齢者と一緒に「臨終不挿管クラブ」を作った。つまり、臨終の際、延命治療を断る団体を立ち上げたのだ。
その後、米国などでは一般的となってきた「生前遺言」の存在を知り、元帥で外相も務めたことのある陳毅氏の息子、陳小魯氏らの友人とともに、中国で初めてとなる尊厳死を求めるサイトを開いた。
陳氏はずっと悔しく思っていることがある。父が植物人間同然の状態に陥り、体中にいろいろな管が差し込まれていた。呼吸器を使って維持していたが、それでも心臓の鼓動が停止してしまった。
病院はすぐさま電撃を加えたりして、延命治療に取り組んだ。電撃で体が飛ぶほどの衝撃を受けたのを見て、やめてもらおうと病院に申し出たら、「そんな権限があなたにあるのか」と言われ、引き下がるしかできなかったという。
しかし、陳氏はこの日の出来事を今なお悔やんでいる。父に尊厳のある臨終を迎えさせるべきだったと後悔し続けているのだ。
中国でも反響があった
日本の「健康寿命の延伸」
こうして見ていくと、単なる長寿社会を作るのではなく、質の高い長寿社会を目指すべきだと考えるようになった。つまり「健康寿命の延伸」をいかに図るかということだ。これは近年、日本がたどりついた “道しるべ”だとも言える。
昨年9月、山東省泰安市で開催された介護関連のシンポジウムで講演したとき、筆者は「健康寿命の延伸」をめぐる日本社会の試みなどを紹介した。
講演前は、中国人出席者が関心を払ってくれるのか少し不安を感じていたが、実際は非常にいい反響だった。私の後にスピーチをした人は、ほぼ全員、私が挙げたデータや主張に触れており、関心の高さを見せた。
筆者は十数年前から、日中経済交流が「ハード」から「ソフト」へ移行していると主張している。健康寿命促進をめぐる日本の試みは、中国にとって非常にすばらしい参考事例になる。この分野の交流は、これからますます強化されていくだろうと思う。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)
https://diamond.jp/articles/-/191066
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