北海道中国会

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北海道にいる華僑華人発展の支援及び北海道地域経済振興に寄与する
 
莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見:中国の若き農業者たちが日本視察で見せた熱意
ここ数年、中国各地で農業に対する関心が高まっている。これまでの工業優先の政策で、農業や自然環境の保護がないがしろにされたばかりではなく、居住環境まで破壊された現象も各地で広く見られている。こうした問題に対する反省もあり、農業を再出発させようと心がける人が増えている。

 しかもそこには、ある共通現象が見られる。大都市でそれなりに成功した高学歴者が多い。女性が占める割合も高い。中には、大都市で手に入れた安定した生活を敢えて手放して、自分の出身地の村に戻って、村おこしに情熱的に力を入れる若者も登場している。

 5、6年前から私はSNSでこのグループの人間と知り合い、ずっとその観察と応援を続けている。彼らの努力と行動に中国の将来の描き方、中国農業の模索が読み取れると思うからだ。

 その中の代表的な人物の一人は、陳統奎という36歳の青年だ。中国新農業従事者の間ではスター的な人物で、南京大学を卒業し、かつては「南風窓」という雑誌の記者だった。2009年、故郷の海南島火山村に戻り、村人らを率いて社区(コミュニティ)を創業し、民宿事業を試行錯誤で始めた。

 インターネット時代の風雲児らしく、その創業にもインターネットの力を最大限に活用している。自分の資金を民宿に全部つぎ込んでも足りないと気づき、銀行からも借りられないのを見て、インターネットを通して行動を起こした。一人一口1万元、利息は8%、年間7日の無料宿泊の提供、返済期は3年という条件で出資を募った。あっと言う間に必要な資金を集められた。

 やがて民宿事業から手を広げていった。火山村のライチのブランドを作り、おしゃれな手土産も作り出すようにした。その民宿と火山村は復旦大学、浙江大学など中国の有名大学の社会調査の基地にもなり、村おこし事業が軌道に乗り始めた。その努力を見て地元の政府も刺激を受け、支援に動き出した。井戸や村内の道路を作るための資金を提供したりした。

 こうして陳さんとその仲間たちの行動がより広く注目され、彼らも中国のメディアに度々登場するようになった。リーダーとしての陳さんはハーバードビジネススクールからも講演依頼を受けた。今は、陳さんは「社会起業家の星」として注目され、「半農半社会起業家」と呼ばれている。

若き新農業従事者視察団の来日

 この度、陳さんは私の提案を受け、中国の若い農業経営者二十数名を率いて農業視察のために日本にやってきた。高知県の馬路村や農産品直売店、物産販売センター、美しい自然が残る四万十川、仁淀川などの河川、岡山県真庭市のバイオマス発電所などが主な見学先となった。

 この新農業従事者視察団は合計23名、最年少は1991年生まれである。30代、40代が大半を占める。現在の職種を見ると、民宿経営者、農場主、フルーツ店チェーン創始者、社区(コミュニティ)サービス企業の経営者、ブランド農業創業者などツワモノぞろいだ。北京、上海、重慶、江蘇、海南、陝西、福建、広東などの省市から集まり、会社の資産は数百万から数千万、数億元(1元は約15円)までまちまちだが、農業というキーワードで結ばれているグループだと見ていい。最も長い企業は創業してすでに十数年になる。

 もうひとつの特徴はある商品分野に特化してブランドを作る意識が強い。たとえば、生姜とその加工食品に特化した企業がある。高知市内の和雑貨店に連れて行ったところ、店内にある生姜関連の商品を全部購入してしまった。その味などを分析するのだという。スイカの栽培に専念するある会社は「消費者にはもっともよい生産者、流通ルートにはもっともよい商品提供者」をモットーにする。コミュニティサービスを売り物にする企業は5万の家庭を対象に、安心と安全の食品を提供しようと努力している。

 高知県と四国域内の移動は時間がかかる。バス移動中は勉強会に体験発表会、ホテルや民宿に到着して夕食を終えたあとはその日の見学の感想を発表したり今後の目標についての考えを披露したりして、非常に勉強に熱心な視察団だった。

 高知県庁で産業や農業を担当する幹部と意見交換会を行ったとき、「若い」と羨ましがられている。馬路村でも村長が「皆さんの若さに中国農業の希望を見出している」と感想を述べた。

 四万十市の老舗の醤油工場や真庭市の味噌と酢を作っている140年の歴史を誇る工場を見た時、みんな、嘆声を上げた。「こんな古い機械と手作業で作った商品がなぜ消費者に支持されたのでしょうか」と質問をそこの経営者にぶつけ、いろいろと掘り下げて質問した。

 岡山空港でみんなにお別れを告げたとき、「ぜひこれからも日本の地方ブランドをいろいろと教えてください。また来ます。商品を販売してみたいです」と口々に話してくれた。

 そこで、思わず訪問団の主な目的は日本農業の産業化の取り組みを学び、帰国後、自分たちの企業発展に役立てる、という来日前の連絡の内容を思い出した。来日して31年、こんなに学習意欲の高い訪日団と出会ったのは3回目だ。しかし、今回は一番、年齢が若い。もうひとつ、農業関連では初めてだ。そこに中国のある種の変化を体感できたと思う。私にとっても収穫の多い接待となった。

http://diamond.jp/articles/-/94850 ダイヤモンド・オンラインより
2016-07-10