現場を支える高齢者の労働力、高齢化が進む日本社会の現実
年金が足りないからと働く
高齢のタクシー運転手
京都には、顧問を務める企業が数社あるため、時々、京都を訪問する。そのうちの1社を訪れる際には、いつもJR京都駅の八条口を出てタクシーに乗る。
先日もそうだった。打ち合わせの時間が迫っていたのに、八条口の近くには客待ちのタクシーがなかった。なかったというと語弊がある。実は1台はあったのだ。ドライバーは見るからにかなりの高齢で、若干、体も不自由に見えた。
少し不安を覚えたことから、乗車するのをためらった。しかし、タクシーはなかなかこない。私の心の中を察したのか、ドライバーが笑顔で「大丈夫ですよ、安心して乗ってください」と声を掛けてくれたので、最終的にこのタクシーに乗る決意をした。
心配をよそに、結果的には目的地に無事たどり着いた。支払いする際にドライバーと雑談、「年金が足りないから働いている。もうしばらく頑張りたい。会社も人手不足で困っているし」という話を聞かされ、労働力不足の実態を実感した。
考えてみれば、これはタクシー業界に限った話ではない。さまざまな分野で起きている現象だ。
例えば、東京・錦糸町の近くにあるわが家のマンションもそうだ。錦糸町では珍しい大型のタワーマンションで、600以上の世帯が入っている。8年前、管理会社のサービスに不満を覚えた住民たちは、新たに長谷工コミュニティに変更した。私も支持派の1人だった。
しかし、長谷工コミュニティに変わった途端、戸惑いを覚えた。掃除などをしているスタッフに高齢者が多かったからだ。自分よりかなり年上の方が懸命に廊下の掃除などをしている光景を見ると、何か悪いことでもしてしまったような、すまない思いがした。
だが、高齢のスタッフたちは全くそれを感じていないかのように、明るく挨拶してくれたり、荷物を持っている住民のためにさっと手を伸ばしてドアを開けたりしてくれる。
いつの間にか、申し訳ないという気持ちは敬意と謝意に変わっていた。高齢者が元気に働いている姿が、日常的な光景になっていたのだ。
わが家のマンションでは26人のスタッフが働いているが、最高年齢は72歳で平均年齢は56歳。業種別に見ると、管理人は平均年齢67歳の3人、フロントサービスは平均年齢36歳の6人、清掃員は平均年齢67歳の12人、警備業務は平均年齢53歳の4人、支配人は32歳の1人となっている。これを見るだけでも分かるとおり、マンション管理の世界でもすでに高齢化の荒波が押し寄せてきているのだ。
年金制度は充実しているのに
高齢者が働かなければならない現実
日本は年金制度が充実しているはずなのに、なぜこれほどの高齢者が働きに出ているのか。興味を持ってスタッフに聞いてみたところ、主な動機として、「経済上の理由」「経済上のゆとりの確保」「身体的・精神的健康維持・向上のため(老化防止、認知症予防など)」「時間に余裕」「近所に住んでいるため」「自分の能力生かせる場がほしい」などが挙げられている。
その中の2人に話を聞いた。
1人は管理人を務める萩原弘光さん(63歳)。長谷工コミュニティでの勤務歴はすでに10年。錦糸町のマンションでは管理人として8年間務めてきた。
以前は、医薬品卸会社に勤めていたが、54歳のときに会社を早期退職。今は奥さんと大学生の長男、専門学校生の次男に義理の母親など6人家族で暮らしている。昨年、一戸建ての自宅を建て直して3階はアパートとして賃貸に出しているが、ローンの返済や生活費のことを考えると、あと何年間働かなければいけないと考えているそうだ。
マンション住民からの評価を聞いて、さすがの萩原さんもはにかんだ。「仕事は引き受けた以上、一生懸命働かないといけないと思う。住んでいる住民に喜んでもらいたい」と謙遜する。
趣味は山登りと写真撮影。昔は花の名前など全く知らなかったが、今ではかなり覚えてきて、水芭蕉と尾瀬の秋が大好きになったという。こう語る萩原さんの表情は、まるで好々爺だ。
もう1人は柴崎智恵子さん(72歳)。墨田区に嫁いできてから、二十数年間、靴工場でアルバイトをしていた。8年前に工場が閉鎖してしまった折に、清掃員を募集しているのを聞き応募。3人の子どもはすでに成人したので、それぞれの生活がある。夫の体調がよくないため、年金では足りない分を補わければならないという。
清掃作業とはいえ、ゴミ出しなどは結構力がいる仕事だ。しかし、住民から「ありがとう」などと言われると、喜びと働き甲斐を覚えるという。特に、「辞めないでね」と住民から言われたときには、心に込み上げるものがあったそうだ。「体が許す限り、ずっと働いていきたい」と語る柴崎さんの言葉に芯の強さを感じた。
仕事が終わった後、家に帰って夫と一緒に飲むビールが楽しみだという柴崎さん。そんな彼女にくっついて清掃の現場を見ながら、高齢の労働者が支える日本社会の現実を再認識させられた。
しかし、長谷工コミュニティの幹部がつぶやいた次の言葉が、いまだ心に残っている。
「今ではリタイアした高齢者を募集するのでさえ至難の業だ。報酬を上げても人を集められない。これからどうすればいいのかと悩んでいる」
外国人受け入れは14業種
漏れた分野では高齢者が支え
今年4月から、「特定技能1号」として14分野で正式に外国人の単純労働者を受け入れるようになった。建築、宿泊、農業、介護、造船、ビルクリーニング、漁業、飲食料品製造業、外食業、素形材産業、産業機械製造業、電子・電気機器関連作業、自動車整備業、航空業の14分野で、外国人労働者を受け入れる。
しかし、マンション清掃などは除外されている。ビルクリーニングの作業内容に、「住宅(戸建て、集合住宅等)を除く建築物」という条件が設けられているからだ。そのため、もっと萩原さんに写真撮影の時間や、柴崎さんにご主人とビールを飲む時間を作ってあげたくても、残念ながら現段階では不可能だ。
萩原さんや柴崎さんのような方たちに、集合住宅の管理や清掃作業を支えてもらわなければならない構造を変えるためには、まだまだ時間がかかりそう。その日がくるまで是非ともお体に気をつけていただき、時間を稼いでいただくしかなさそうだ。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)
https://diamond.jp/articles/amp/196828?display=b
高齢のタクシー運転手
京都には、顧問を務める企業が数社あるため、時々、京都を訪問する。そのうちの1社を訪れる際には、いつもJR京都駅の八条口を出てタクシーに乗る。
先日もそうだった。打ち合わせの時間が迫っていたのに、八条口の近くには客待ちのタクシーがなかった。なかったというと語弊がある。実は1台はあったのだ。ドライバーは見るからにかなりの高齢で、若干、体も不自由に見えた。
少し不安を覚えたことから、乗車するのをためらった。しかし、タクシーはなかなかこない。私の心の中を察したのか、ドライバーが笑顔で「大丈夫ですよ、安心して乗ってください」と声を掛けてくれたので、最終的にこのタクシーに乗る決意をした。
心配をよそに、結果的には目的地に無事たどり着いた。支払いする際にドライバーと雑談、「年金が足りないから働いている。もうしばらく頑張りたい。会社も人手不足で困っているし」という話を聞かされ、労働力不足の実態を実感した。
考えてみれば、これはタクシー業界に限った話ではない。さまざまな分野で起きている現象だ。
例えば、東京・錦糸町の近くにあるわが家のマンションもそうだ。錦糸町では珍しい大型のタワーマンションで、600以上の世帯が入っている。8年前、管理会社のサービスに不満を覚えた住民たちは、新たに長谷工コミュニティに変更した。私も支持派の1人だった。
しかし、長谷工コミュニティに変わった途端、戸惑いを覚えた。掃除などをしているスタッフに高齢者が多かったからだ。自分よりかなり年上の方が懸命に廊下の掃除などをしている光景を見ると、何か悪いことでもしてしまったような、すまない思いがした。
だが、高齢のスタッフたちは全くそれを感じていないかのように、明るく挨拶してくれたり、荷物を持っている住民のためにさっと手を伸ばしてドアを開けたりしてくれる。
いつの間にか、申し訳ないという気持ちは敬意と謝意に変わっていた。高齢者が元気に働いている姿が、日常的な光景になっていたのだ。
わが家のマンションでは26人のスタッフが働いているが、最高年齢は72歳で平均年齢は56歳。業種別に見ると、管理人は平均年齢67歳の3人、フロントサービスは平均年齢36歳の6人、清掃員は平均年齢67歳の12人、警備業務は平均年齢53歳の4人、支配人は32歳の1人となっている。これを見るだけでも分かるとおり、マンション管理の世界でもすでに高齢化の荒波が押し寄せてきているのだ。
年金制度は充実しているのに
高齢者が働かなければならない現実
日本は年金制度が充実しているはずなのに、なぜこれほどの高齢者が働きに出ているのか。興味を持ってスタッフに聞いてみたところ、主な動機として、「経済上の理由」「経済上のゆとりの確保」「身体的・精神的健康維持・向上のため(老化防止、認知症予防など)」「時間に余裕」「近所に住んでいるため」「自分の能力生かせる場がほしい」などが挙げられている。
その中の2人に話を聞いた。
1人は管理人を務める萩原弘光さん(63歳)。長谷工コミュニティでの勤務歴はすでに10年。錦糸町のマンションでは管理人として8年間務めてきた。
以前は、医薬品卸会社に勤めていたが、54歳のときに会社を早期退職。今は奥さんと大学生の長男、専門学校生の次男に義理の母親など6人家族で暮らしている。昨年、一戸建ての自宅を建て直して3階はアパートとして賃貸に出しているが、ローンの返済や生活費のことを考えると、あと何年間働かなければいけないと考えているそうだ。
マンション住民からの評価を聞いて、さすがの萩原さんもはにかんだ。「仕事は引き受けた以上、一生懸命働かないといけないと思う。住んでいる住民に喜んでもらいたい」と謙遜する。
趣味は山登りと写真撮影。昔は花の名前など全く知らなかったが、今ではかなり覚えてきて、水芭蕉と尾瀬の秋が大好きになったという。こう語る萩原さんの表情は、まるで好々爺だ。
もう1人は柴崎智恵子さん(72歳)。墨田区に嫁いできてから、二十数年間、靴工場でアルバイトをしていた。8年前に工場が閉鎖してしまった折に、清掃員を募集しているのを聞き応募。3人の子どもはすでに成人したので、それぞれの生活がある。夫の体調がよくないため、年金では足りない分を補わければならないという。
清掃作業とはいえ、ゴミ出しなどは結構力がいる仕事だ。しかし、住民から「ありがとう」などと言われると、喜びと働き甲斐を覚えるという。特に、「辞めないでね」と住民から言われたときには、心に込み上げるものがあったそうだ。「体が許す限り、ずっと働いていきたい」と語る柴崎さんの言葉に芯の強さを感じた。
仕事が終わった後、家に帰って夫と一緒に飲むビールが楽しみだという柴崎さん。そんな彼女にくっついて清掃の現場を見ながら、高齢の労働者が支える日本社会の現実を再認識させられた。
しかし、長谷工コミュニティの幹部がつぶやいた次の言葉が、いまだ心に残っている。
「今ではリタイアした高齢者を募集するのでさえ至難の業だ。報酬を上げても人を集められない。これからどうすればいいのかと悩んでいる」
外国人受け入れは14業種
漏れた分野では高齢者が支え
今年4月から、「特定技能1号」として14分野で正式に外国人の単純労働者を受け入れるようになった。建築、宿泊、農業、介護、造船、ビルクリーニング、漁業、飲食料品製造業、外食業、素形材産業、産業機械製造業、電子・電気機器関連作業、自動車整備業、航空業の14分野で、外国人労働者を受け入れる。
しかし、マンション清掃などは除外されている。ビルクリーニングの作業内容に、「住宅(戸建て、集合住宅等)を除く建築物」という条件が設けられているからだ。そのため、もっと萩原さんに写真撮影の時間や、柴崎さんにご主人とビールを飲む時間を作ってあげたくても、残念ながら現段階では不可能だ。
萩原さんや柴崎さんのような方たちに、集合住宅の管理や清掃作業を支えてもらわなければならない構造を変えるためには、まだまだ時間がかかりそう。その日がくるまで是非ともお体に気をつけていただき、時間を稼いでいただくしかなさそうだ。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)
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